2009年 10月 20日
トノバンとドノバン |
ドノバンと会ったことがあるというだけで
トノバンというあだ名がついた加藤和彦氏
全篇ドノバンのシンプルで美し過ぎる曲、歌声が流れる映画「ブラザーサンシスタームーン」
どういうわけかドノバンが気に入っていないらしくレコードになっていない。
見るたびに「自分の道を精一杯生きていこう」と思うし
「いつ死んでも良いし恐くない」と思う。
「この世はほんの一握りの真理とあとはどちらでもよいことでほとんどは成り立っている」
須賀敦子さんの師はそうおっしゃっていたそうですが確かにそうだと思います。
加藤和彦氏は「もうやりたいことがすべてなくなった」と
遺書に書いていたそうですが、
3000曲以上もの作曲をし
それ以外にもオシャレな人生を送りながら
「どちらでもよい」すごい仕事を限りなくして来たんですから
そう思ってもぜんぜん良いと思います。
(たとえ鬱病だったとしても、そうでなくても)
限りなく新しい創作に意欲を燃やすのも良し
この世の「ほとんどどうでもよいこと」にうつつを抜かし
それに飽きてこの世から姿を消すのも良しだと思います。
(自殺はよくないとは思いますが、本人にしかわからない「大きな力」
が動いていると思うので、
本人の「自分ではどうしようもない意志」も尊重したいと思います。
自分もまわりの環境や人間関係によっては
いつそんな衝動にかられてもおかしくないと思っています。
それを停めている「まだ捨てたものではない人生の素敵な力」に感謝
するばかりですが、1秒先は本当に何もわからないと痛感しています。
1秒前がとても穏やかで至福な心だったとしても
1秒後にはまぼろしにもなるし、ろうそくのようにいつかは消えてしまうのです。
何かうまく言えませんがトノバンの死はとても清々しくも思えるのです。
彼は自分の美学を貫いて自殺したのでしょう。
三島由紀夫とは違う、またひとつの美学。
そんな人でありたかったですが、もうこれからはそんな人生は送れません。
そんなことを思っているここ2、3日です。
そして「今の世の中に音楽は必要なのだろうか...(略)生きていたくない」という
加藤氏の重い遺書の一文にがーんと頭を殴られて
じーんとした頭でその意味を真意を感じ、考えています。
また「迷い」がひとつ増えました。
煩悩との戦いもありますが「意味のないことを考えてしまう」
悩みはやはり死ぬまで消えないのかもしれません。
空の上から食べ物やお金や人間関係など何の心配もなく
雄大な自然や人々の営みを眺めているのは最高かもしれません。
宇宙も地球も人も何もかも
意味のあるゴールに向かっているわけではないのだから
人生をめいっぱい「ほとんどどうでもよいこと」に費やすのは
ステキなことなのでしょう。きっと。
一握りの真理をわかっていればね。
次回産まれて来た時には少しわかっていたら良いですね。
by 460ss
| 2009-10-20 11:00