不自由から得るもの |
バルセロナにイラストのデータを送る。
インターネットは確かにものすごいスピードで
今までではありえない人やモノを繋げた。
それはそれで凄いことだけど、
世界が簡単に知れない、手に入らない時代、
携帯やネットのない新幹線程度の速さの時代は
やはり良かったのかもしれない。
知らない方がイマジネーションが広がって
苦労して手に入れたり、やっと出会えた時の衝撃は100倍だ。
だんだん何をやっても見ても感動が薄くなる。
知らなければ自分の世界で満足して過ごしていたこと。
知ってしまったら引き返せなくもがくこと。
生きていればどちらでも素敵なことか?
日々、左半身は痛く、起きるのが辛く
語学はできない、漢字は忘れる、絵すらうまく描けない。
(うまいというのは上手という意味ではなく、
自分の思うように、意図するようにという意味)
ギターもうまくならない、できないことだらけ。
だけど、そんな不自由な身体や頭をいつも「とても感じながら」
生きていけるのは素晴しいと思っている。
ひっかかり、つまづき、ためいきをつき、泣いて
立ち止まるどころか何度も引き返し.....
それでもそんな自分をプロデュースし、何とか
「何かに」近づけるようにお尻を叩くのは
まだ恵まれているかもしれない。
そんなふうに思っているうちはまだ生きて行ける。
